吾輩は換気扇である。無論名前はある。
やれやれ一安心と胸を撫で下ろしたのも束の間、一時間も経たずにそのおっちゃんはまた戻ってきて、今度は無視し続けていた吾輩の方へ真っ直ぐやってきて、吾輩を手に取りメモ用紙と見比べ「見場は悪いが、これだこれだ、これでいい」と満足げに相槌を打つではないか、身体が恐怖で強張ってしまった。吾輩は、トイレ専用の換気扇であり、常に人が忌み嫌うトイレの悪臭に生涯耐える宿命を持つ。だから、臭そうな人に引き取ら事は長い苦悩を背負い込むに等しいのである。アー、我が救い主たるフィルター神よ、なにとぞお救いくだされと棚にしがみ付いていたが、強引に引き剥がされレジのテーブルに乗せられた時には、吾輩の運命そのものを、そしてフイルター神さえなじり続けていたのである。そして、翌週の土曜日まで吾輩は、買主のどこか他人の車とは内部が違う軽自動車の車内に放置されていたのである。 その後、窓の外にジャバラと吾輩をニョキッと出す方法からややジャバラの窓外への露出を少なくしたりと、周囲の反応を見ながら試行錯誤を繰り返したが、結局旦那様は旅でジャバラと吾輩のコンビネーションでの使用を避けた。やはり周囲の反応が予想以上に酷かったからに違いない。その後、何度も改良を繰り返しトイレファンから車用ファンへの応用を工夫し続け、本格的な旅へのデビューは今年の5月連休からである。しかし、その後も設置に時間が掛かる、モーターの振動で固定部から外れるというトラブルが続き、最終的に固定方法の大幅な改良により、実用の目途が付いたのではやっとここ最近の事である。いま吾輩は、トイレファンという呼び名を忘却し、新しい人生を生き生きと謳歌しているのである。そして尊敬するご主人様の大切な命の安全を確保すべく、日々努力し続けているのである。
吾輩は、とあるホームセンターの棚の上で、不満だらけの人生を送っていた。周りのみてくれの良い換気扇は、棚に乗っても幾日も立たずに売れていった。でも吾輩は、とある理由から不人気であった。そんな不幸な人生にあって、突然吾輩の運命を変える出来事が起きた。早春の或る日曜日、それは起きた。客が往来する売り場の通路を、風体も悪く、一癖も二癖もありそうな、目つきの悪いおっちゃんがウロチョロするのが目に入った。変な奴だと思っている内に、何処かへ行ってしまった。やれやれと思っていたら、また何処からともなく現れ吾輩の近くにやってきたのである。巻き尺で、他の換気扇のサイズを測り、メモ用紙を覗き込み、なにやらぶつぶつ呟いている。やばい、胡散臭いおっちゃんはゴメンだ、近づかないでくれと換気扇界の救い主たるフイルター神に祈りを捧げたのである
吾輩は、高須産業という『茨城県潮来市』にある工場で生まれ、TSK / T-100と命名された換気扇である。ただ、残念ながら出生日は保証書の消失により失われているが、秘密めいたことは何もない。とは言うものの、別名をトイレファンと呼ばれており、これが吾輩の運命を大きく左右する要因になっていることは間違いない。吾輩自ら言うのもなんだが、流れるような流線型のヘットをもち、他の追従を許さない美しいフォルムを備えたユニークな姿をしている。それを吾輩は、誇りとも思っているが、周囲の目はトイレ用換気扇としてのみ捉え、見向きもされないのが現実である。また、口の減らない連中は、吾輩をきのこと呼び中傷する事を止めない。
さて、そのおっちゃんは、吾輩にいたく嫌がられていることを露とも知らず、他の換気扇を手に取り、縦にしたり横にしたり、ひっくり返したりとかなりの時間換気扇の有る棚の前で思案し続けていた。だが、偶にチラチラと吾輩を見るものの、全く吾輩は眼中に無いのか無視され続けた。そして、程なくして換気扇の陳列棚からスーッといなくなった。
その日、車にやってきたご主人様は、落ち着きなく貧乏ゆすりをしながら、車の内部を巻尺で測りメモにとったり、あちらこちらに頭をぶつけながらも車内の荷物を運び出したりと忙しそうに立ち働いていた。だが、一向に吾輩を設置場所であるべきトイレへ運んで行く気配がない。どうも変である。それどころか、途中から変なジャバラ構造の筒が、吾輩の傍に置かれ、とぐろを巻いて今にも吾輩を絞め殺しそうな雰囲気である。ご主人様一体何をされるのですか、何卒お手柔らかにと恐怖心から身体を強張らせた。ところが、エネルギー源である電源に繫がれ、どうゆう訳か吾輩はジャバラ状の筒と接続され、何と窓の外に全身を乗り出すような格好で反り出された。そこで如何に鈍感な吾輩もはたと気付いたのである。何と車で煮炊きが出来る様にする為の、換気扇として利用しようと言う訳である。それもトイレファンを活用すると言う極めて破天荒な発想である。吾輩は、喜びで全身を打ち震わせ大きく息を吸いはきして換気、いや歓喜にむせんだのである。このご主人様は普通の人ではない。そうだこのご主人様に付いていくことが吾輩の余生を全うする意味そのものだと胸に深く刻みつけたのである。
最後にご主人様について、少し触れで置く事にする。極めて誇り高く高潔にして気品と風格に溢れ、哲学者的風貌を兼ね備えて方と言うのが吾輩の評価である。ただ、たまに車中にて奇行を働かれたり、おならをよくされるのだけはおやめいただきたいと思っている次第である。

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